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水玉区切り

「好き」を強さに変えて  ~元高田小学校校長 金野美恵子さんインタビュー~

掲載日  2023年3月10日

執筆者  一般地域ライター

「先生」という単語を聞いて、皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか?怖い、厳しい、けれど優しい……。
 今回お話を伺ったのは、昨年まで陸前高田市立高田小学校で校長先生をされていた金野美恵子さん。愛称はミエセン。彼女の話す経験一つ一つが、今を生きるママたちの背中を優しく押してくれます。校長という役職を退いてもなお、地域を支えるミエセン。
今、私たちママへの授業が始まります。
(聞き手:垣内つぐみ)

用務員から教師へ!なにがなんでも掴んだ夢への切符

ーーこんにちは。本日はせっかくの機会なので、私もミエセンと呼ばせていただきます。よろしくお願いします。早速ですが、ミエセンの経歴についてお伺いしたいです。

 そもそも教員を志したのは、小学校6年生の時。実は私、あまりいい生徒ではなくてね。叱られてばっかりだったの(笑)。それでも先生からの愛情はちゃんと感じることが出来ていて、それが嬉しかった。

 うん、……突き詰めれば、人が「好き」なのかもしれませんね。そこからスムーズに教員の道へ進んだかと訊かれれば、実はそうではなくて。私の下には弟もいて、実家が経済的に余裕がなくてね。両親に「女は大学に行かせられない!」って大反対されたの。そういう時代だったんだよね。想定内の返事ではあったけど、やっぱり納得はできなくてね、1日だけ家出をしたこともあったなぁ。

 一度は役所に就職はしたけれど、先生になりたいという夢は諦めきれなかった。そこで、二足の草鞋(わらじ)を履く生活がはじまったの!昼間は高田小学校の用務員として勤務をして、夜は玉川大学の通信教育で学ぶ大学生。大変だったけど、楽しい4年間でした。

 社会人の入口は高田小学校。それから役職も変わるにつれて、「教師生活を終えるときは高田で」という強い想いが出てきました。その願いが通じたのか、運命に導かれたのか。なんと教師生活最後の学校が高田小学校だったんです。
 とにかく「好き」なことを仕事にできて、幸せでした。

ーー不思議なご縁ですね。用務員生活を経て教員になられてからは、転勤もありますよね。

 そうね、単身赴任も12年間しました。陸前高田市内への配属は気仙小学校と広田小学校だけで、あとは隆前高田市近郊や内陸の学校に行っていたの。釜石市の大槌町、一関市の東山町、一関市の花泉町。それぞれが、第二、第三のふるさとと言えるかな。

 特に印象に残っているのは、校長になって初めて赴任した花泉町の金沢小学校かな。東京都の新宿区にある市谷小学校と30年間交流事業をしていたの。(2017年時点)誰かのために何かする、利他的な文化が根付いていることが衝撃的だったね。

ーー正直なところ、女性が単身赴任をするということで、きっと寂しさもありましたよね。その選択にミエセンの女性としての「強さ」を感じました。自分を根本から支える強さの源(みなもと)は一体なんだと考えていますか?

 「強さ」の源は、用務員時代に出会った高田小学校の子どもたちなんです。キラキラした目がすごく印象的で、この目をした子どもたちの前に立って共に自分も人として成長したいと思いました。「教える」というよりは「共に成長していく」という考えが強かったですね。

 子どもと一緒に「創る」ことも好きでね、学習発表会は校長になっても張り切って、準備なんかにも参加していたよ!

子供たちが教えてくれる成長のキーポイント

ーー「子どもと共に成長していく」私たちママにも通じる部分ですね。「子育ては親育て」なんて言葉も聞きますが、ミエセンが子どもたちと過ごした長い時間のなかで、逆に子どもたちに教えられたご経験ってあるんですか?

 たくさんあるけれど、今回は広田小学校の子供たちとのエピソードをお話しますね。

 当時、主張の強い男子児童がいたの。生意気…ともいえるかな(笑)。その子がこう言ったの。
「僕たちは、ブドウの実。一粒一粒で確立したものを持っているのに、先生は十把一絡げ(じっぱひとからげ)にして教えようとしているところがある。それぞれの個性をきちんとわかってほしい」そう言って反抗されたのが一番心に残っているね。何度も意見を交換して、泣いてしまう日もあって、それはもはや「闘い」と言っていいくらい。

 お互いの言い分があるなかで、まずは相手の意見を聞き、受容するということができるようになったのは、この経験があってこそ。
 「聴聞(ちょうもん)」。子どもも大人も関係なく、まず人の話を聞いて受け止め、認めること。これを今でも大事にして、心がけています。

ーー子供たちの素直な発言は、この地域ならではな部分でもあるかもしれませんね。

 気仙地域って、いいところが様々あるけれど、特に人の魅力が本当にあるよね。この地域の人は「あたたかい」じゃない?いつも誰かを気にかけてさ。……口は悪いけれどね(笑)。でも、美辞麗句で物事を語るのではなく、悪い物事もきちんと伝えてくれる。課題を言うだけではなく、課題の溝を埋めてくれる発言をしてくれる。この子達もそうだったね。

教師として、そして母親として

ーー教師業と母親業の両立って、単純に大変じゃないですか?自分の子、受け持ちの子との間で板挟みになるイメージが私にはあるんです。

 その通り。昔、陸上大会の担当をしたことがあってね。しかも、他校にいる自分の次女が参加する800m!受け持ちの生徒と自分の娘が戦うことになってしまったの。娘を応援したいんだけど、できることといえば、お弁当に応援の手紙を忍ばせることだけ。

結局1位でゴールしたのが自分の娘、2位でゴールしたのが自分の生徒でね。私がゴールで自然と抱き抱えてしまったのは、受け持ちの生徒の方だったの。教師としての仕事を選んでしまったんだね……。その姿を娘が見つめていたみたいでね、同僚からは非難も受けたのよ。苦しかったなぁ。当たり前だけれど、どちらも大事なのよ!

ーーでも、お子さんたちも「先生」としての母のその背中を見て育って、学ぶところも多かったのではないでしょうか?

 そうだといいね。実は、さっき話した次女がね、なんと教師になったの。勤務先の学校では、先輩たちにたくさんのことを柔軟な気持ちで学んでね、と伝えましたよ。

ーー教師というより、母親ならではのではのお声がけですね。もしも今の自分が、新人の頃の自分にアドバイスを送るとしたらなんて伝えたいですか?

 校長になってから、教職員に伝えている四字熟語があります。「和顔愛語(わげんあいご/意味:和やかな顔と思いやりの言葉で人に接すること)」という言葉です。自分は若い頃できなくて……怒ってばかりの教師で、一番おっかなかったと言われたりしました。教師としての資質を高めるためには大事な言葉だよね。

ーー同じ母親として、ミエセンにたくさん相談したくなります。最後に、今までのご経験から思ういい母親とはどんな母親でしょうか?

 子どもが大きくなるに従って「手はかけない、心をかける」。将来的に自立していくことが前提なので、家庭の中でできることはさせていく。でも、ずっとあなたを見つめているよというサインは送る。皆さん、そういうお母さんであってほしいなぁと思うね。

ーー子どもに対して過保護になりすぎず、心を寄せるような子育てを心がけたいと思います。様々な立場からの回答、勉強になりました!本日はありがとうございました。

インタビュー・文:垣内つぐみ