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水玉区切り

その手に光る未来のりんご ~吉田司さんインタビュー~

掲載日  2023年3月8日

執筆者  kana

「陸前高田で美味しいものは何ですか?」と地元の人が聞かれたら、「牡蠣、ワカメ」と並んで必ず出てくるのが「米崎りんご」です。130年の間地域に愛されている米崎りんご。しかし今農家では高齢化と後継者不足の現状があるといいます。

そんな中、異業種からりんご農家として立ち上がった人がいます。吉田司(よしだつかさ)さんです。陸前高田出身の吉田さんはなんと元ホテルマン。お会いすると、物腰柔らかなホテルマンだったことを忘れるほど快活な笑顔が印象的でした。しかし熱く語る表情には、冷静にこれからを見つめる真剣な眼差しがありました。

震災の時に出会ったりんごが、僕の人生を変えた

ーーりんご農家になった時、吉田さんは40歳。その年齢で全くの異業種に転身するのはかなりの覚悟が必要だったと思います。数ある仕事の中でなぜ「りんご農家」だったのでしょうか?

まず一つは、震災を経験したこと。震災当時34歳。そこで働くこと、生き方、家族の在り方、価値観がゴッソリ変わりました。それを機に「自分が死んだら何を残せるか」ということを、漠然と考えるようになりましたね。

もう一つが、震災当時の支援物資に紛れていたりんごの味です。「ああ、このりんご特別に美味しいな、青森や長野のりんごかな」と感動して食べていたところ、母親から「それは、米崎のりんごだよ」と聞かされて驚きました。地元のりんごって、こんなにクォリティーが高いんだ、って。

それから米崎りんごに関心を持ったので、市内のりんご農家の状況を調べてみたんです。
当時経営していたりんご農家は概算で約100件ほど。しかしその中で30代以下の担い手はたった1人しかいないという事実を知り、ショックをうけました。

その頃、市内の宿泊施設に勤務していたのですが、米崎りんごの生産管理や担い手育成を行っている団体とご縁があって、転職を決意。そこで修行を重ね、転職5年目を迎える年に個人農家として独立しました。実家の屋号「井戸端」をお借りし、「イドバダ・アップル」という名前で。

足元に光る地元の宝を伝えたい

ーー陸前高田出身の私も米崎りんごは幼いころから親しみがあります。しかし私は「美味しい」ことが当たり前になっていました。改めて「米崎りんご」の味の秘訣を教えていただけますか。

そうですね、米崎町は果樹に適した土地と言われていますが、その理由がいくつかあります。

まずは太陽です。米崎町の地形は南向きの斜面で、遮るものもなく海を見渡すことができる。それにより長い日照時間が確保できるのです。そして、りんご畑の後ろにそびえる氷上山の強烈な西日。その強さは、日が沈む時に氷上山が燃えるように赤くなるほどです。極めつけが目の前に広がる広田湾からの照り返し。僕らはこれを「3つの太陽」と呼んでいます。

そして土壌や気候にも恵まれています。陸前高田市の土壌は、水はけも良く果樹栽培には相性の良い花崗岩や黒ボク土が多く分布しています。
また、米崎町のある陸前高田市は海が夏は涼しく、冬は降雪量が少ない気候にあります。さらに海と山の距離がとても近いことで、海風が氷上山や箱根山に上り、冷やされて吹き返してくる。本来であれば雪が降らず温かい気候、冬の果実はできにくい場所なのに、その吹き返しが冬の果樹栽培を可能にしてくれる。

日照条件や気候も含め、先人の方々が自然に寄り添い切り開いてきた農作物。だからこそ、この風土や人々に馴染み、産業として130年以上続いているんですね。

前のリンゴ農家に務めていた時、印象的だったことがありました。地元の農芸科の高校生を研修で受け入れたのですが、その際にとったアンケートで、参加者18人全員が書いていたワードが「高齢者」と「儲からない」だったんです。それを見て僕は「自分がいくら頑張ってりんご作りをしても、次に続く人がいないと産業がなくなってしまう。まず農業に興味を持ってもらうため、魅力を伝えないと」と考えるようになりました。

経営理念「先人から受け継いだ文化を進化させ、次の世代につなぐ」

ーー先日、吉田さんのりんごを頂きました。吉田さんのりんごは特に酸味のバランスが良く、味が凝縮されていて驚きました。

気候や土壌に恵まれているので、僕の技術というよりは「お世話している」という感覚ですね。りんごは保存する際、温度を急激に下げることで「味が締まる」と言われています。そこで収穫後、できるだけ早く冷蔵庫に保存し、一定の温度で管理するよう気を付けていますが、それも影響しているのかもしれません。実際に、蔵で管理していた頃に比べて品質は向上したと思います。

ーーそういった方法があったんですね。また、吉田さんはクラウドファンディング(インターネットでやりたいことを発表し、賛同してくれた人から資金を集める仕組み)での予約販売など新しい販売方法に挑戦されています。そこには何か理由があるのでしょうか。

担い手がいないと産業は終わります。先人が切り開き、先輩農家さんたちが発展させたこのりんご産業を、僕らの世代がどう新時代に繋げられるか。それには働き方や考え方の選択肢を増やすことや、海外を含めて視野を広げることが必要で、そのためにはまず、農業を知らない方々にも興味をもってもらわないと始まらないと考えました。

その手段の一つとしてクラウドファンディングに挑戦しています。クラウドファンディングで発信することによって、多くの方から注目していただくことができます。反面、良くも悪くも成果が数字で出るので、厳しい現実を突きつけられることもあります。でもここで出た数字を元にりんご“だけ”で経営を行う実績ができたら、その方法を次世代にも繋げられるんじゃないかと思うんです。

例えば「ふじ」っていうりんご。これはだいたい糖度13~16なんですが、世の中には糖度18のニンジンや糖度21のネギ、生で食べれるカボチャに、1個5,000円でも売れるレンコンを作る人もいます。その方々のように、土壌分析や栄養素など、数字を突き詰めて常識外れの農作物を生み出すこともできる。つまり、農業にはもっと可能性があるということなんですね。

未来へつなぐ「いのちを創る仕事」

ーー先人が守り継いだ産業を次世代に伝え、バトンタッチするための進化をする。お話を聞いていると「つないでいく」という言葉が頭に浮かびました。吉田さんにもお子さんがいらっしゃいますが、子どもたちにはどんな思いをつないでいきたいですか?

僕が農業をやるにあたって、今でも大切にしている言葉があります。
それは2019年の夏のことです。わざわざ東京から農業体験に来てくれたご家族がいて、そこには既に農業高校の体験入学を済ませた15歳の女の子がいました。気になったので、「なんで農業をやろうと思ったの?」と質問したら、

「だって、人のいのちを創る仕事ってめっちゃかっこよくないですか?」

という言葉が返ってきて、胸が詰まりました。当時の僕は開業を控え、希望よりも不安が大きい時期。最後に僕の背中を押してくれたのは中学3年生の女の子の言葉だったんですね。

子どもたちが大きくなる頃には、正直なところどんな未来になっているか見当もつきません。ただ、何をするにしても家族の存在が大きいですよね。僕自身は、農業をしながら家族の時間ときちんと向き合い、収穫をともに喜んだり、互いの挑戦を応援できる環境が農業を通して生まれたら幸せだなと感じます。

ただ、大人が自分の経験のみで子どもの考え方を押さえつけることはしたくないなと考えています。考えの合わない部分を非難し合うのではなく、お互いがお互いを応援し合い、そこにうまくお金が回る、という文化ができていってほしいです。

ーー親なら誰しも考える子どもの未来。生きやすい世の中であってほしいと願いながらも、行動を起こすのは簡単なことではありません。でも、小さくてもできることはある。私も一人の母として、真っ赤なりんごを頬張る目の前の笑顔に、地域の恵みやそれを守り継ぐりんご農家さんの思いを伝えることから始めたい。そんな気付きを得ることができました。吉田さん、貴重なお話をありがとうございました。

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3月17日(金) 10:00よりスタート!!
https://www.kamofunding.com/projects/yoshidatukasa2

ライター

kana

住田町在住、1才男児のママ。オシャレ、アクセ作り、裁縫、読書、子供のオモチャ作り……とにかく多趣味です。実はバイクも好きで、1人で三重県鈴鹿市までレース観戦に行くほど。自動二輪免許も持っていますが運転は苦手です。